2004年 / 厚木開発センター開設メンバー

あえて別業界から採用した2004年入社の3人
厚木開発センターはどのような経緯で開設されたのでしょうか?
- T.M
- 厚木開発センターは、2004年に開設したのですが、開設した意義は「とにかく新しいことをやろう」とのことでした。立ち上げ時のメンバーは、私が製造責任者、H.Nさんが営業責任者で、その他にスタッフが2名。そして2004年の厚木立ち上げと同時に採用された、T.Yさん、Y.Yさん、S.Nさんの3人でした。
T.Yさん、Y.Yさん、S.Nさんはなぜミクロに入社しようと思ったのですか?
- T.Y
- 前職はメッキ関係、その前は製薬会社の営業をやっていました。技術系の仕事をしたくて、ミクロに入社しました。右も左もわからない状態でした。
- Y.Y
- 僕は食品会社から広告会社を経てミクロに入社しました。求人雑誌に「壁が光ったらおもしろいと思いませんか?」とあったのを見て、単純におもしろそうだなと(笑)。営業志望だったのですが、工場で数年やらないと営業に行けないと言われて、3年で行けなかったら辞めようと思ってた。でも工場の仕事も刺激的で面白かった。気づいたら6年間、厚木にいましたね。
- S.N
- 僕も、こんなに長く勤めると思っていませんでした(笑)。前職はネジの商社で、技術系の仕事はまったく知らないので、本当にゼロからのスタートでした。
開設当時は、とにかく掃除ばかりしていた
2004年組はみなさん、まったくの別業界からの転職なのですね。
- T.M
- そうなんです。技術経験者の応募も来ていたけれど、あえて別業種から採用した。業界経験者の凝り固まった考えではなく、とにかく新しいことをやってみようと、吉川社長の強い意志を感じました。
スペースが空いていれば、仕事は入ってくる
それほどまでに新しいことを目指して、スタート時は熱気にあふれていたのではないですか?
- T.Y
- いえ、入社当時は……工場内の掃除ばかりしていましたね。出社して、1250平米の工場を1日中ずっと掃除です(笑)。一通りの装置はそろっていましたが、肝心の仕事がなかったですから。
- S.N
- クリーンルームの掃除の仕方を徹底的に教えてもらいました。目に見えるゴミはもちろんですが、目に見えないホコリをどうやったら除去できるか。簡単そうに見えて、意外と頭をつかいます。
- Y.Y
- 掃除は私たちの仕事にとっては「基本のキ」なんです。基本を徹底することで、これほど細かな注意と努力の積み重ねで、製品が作られているんだということを深く理解するために、必要な期間だったと思います。
ですが、掃除ばかりしていては売上が立ちませんよね?
- H.N
- 当然そうですね(笑)。最初は、利益は度外視で、無理矢理にでも仕事を入れていました。台湾のカラーフィルタや携帯電話の基板などの仕事は木曽駒と競争するようにやっていました。仕事がなくなってスペースが空けば、仕事は自然に入ってくるものなのかもしれません。
- S.N
- 毎日、不良品を選別する仕事をしていました。24時間体制というと大げさですが、ほとんど家に帰れなかった記憶があります。
- T.Y
- 僕はT.MさんやH.Mさんが、社長からよく「歩留まりが悪い!」「掃除ができてない」って叱られていた印象があります。
- T.M
- 社長がものすごい剣幕で怒って工場に入ってくるから、なにかと思ったら玄関にゴミが落ちてるって(笑)。「工場をきれいに」「欠品を減らす」この2つは今も変わらない、ミクロの基本的な姿勢だと思います。
- H.N
- あの頃は、仕事がいっぱいあって忙しかったけど、あまり儲かっていませんでした(笑)。小田急線の終電で、いつもみんなで一緒に帰っていたのをよく覚えています。